駄文だと思って、どうしようもなく時間が余ってしょうがないという人だけ読んでいただきたいかな。
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いま起きていること
こうしている間にも平和だった街中で市街戦が行われ、多くの尊い命が犠牲になっている。
世界平和に近づいているどころか、100年くらい前の時代に生きているんじゃないかと錯覚するようなことがこの世界で起きている。
これは対岸の火事ではなくて、残念ながらロシアと国境を接している日本にとっても由々しき事態。
もう少し報道機関はこの事態を重く受け止めて、いま伝えなきゃいけないことは何なのか、きちんと精査してもらいたい。特に公営放送。有事に情報を伝える役割を果たさなければ、いったい何の意味があるのだろう。
北朝鮮の動向もロシアの動きに刺激を受けているのだろうし、明日何があってもまったく不思議ではない。
今まで守られてきた約束だから、未来永劫続くなんてのはただの幻想でしかない。
日米は同盟国だ、というのも、ひょっとしたら明日までの話なのかもしれないし、未来のことなんて誰もわからない。
ハッピーエンドはあるか
この戦争にハッピーエンドのシナリオがあるとしても、そうパターンは多くなさそう。
せめてあるとしたら、軍部がクーデターを起こしてプーチンが失脚するか、プーチンが何者かに暗殺されるか。こんな民主的な手続きを経ないストーリー以外にハッピーエンドはないのかもしれない。
キエフが陥落するか。
ゼレンスキーが捕縛か殺害されるかして、ロシアがウクライナを実効支配するか。
ただいたずらに損害ばかりを増やすだけの泥沼の長期戦になるか。
中国や北朝鮮が参戦し、NATOや国連軍も参入して第三次世界大戦になるか。
核のボタンが押されるか。
どんな三流のシナリオライターが書いても炎上しそうな展開しか残されていない。
そもそも戦争に価値も負けもないし、ハッピーエンドなんてない。
ウクライナにルーツを持つフットボールファミリーに
ウクライナにルーツを持つフットボールファミリーも、祖国への思いを胸にピッチに立っています。
アタランタのマリノフスキーは(いつもの)強烈ミドルを含む2得点で戦争反対のメッセージを伝えた。
マンチェスターシティのジンチェンコは反戦デモに参加。対戦したエヴァートンのウクライナ人、ミコレンコと抱き合い涙した。
隣国の暴君に踏み躙られる祖国に想いを馳せるフットボールファミリー。
ベルマーレで2000年にプレーしたビタリーはウクライナ出身プレイヤーでしたが、ビタリーは元気に過ごしているのでしょうか。あんな状態のチームに来てくれてありがとう。いまは立派なクラブになったよ。まだ勝ち点1しかとってないけど。
ウクライナを守ろうとしているのは誰か
ロシアに侵攻されたウクライナ。残念なことに、ウクライナをNATOも国連も守ろうとはしなかった。
ウクライナは、ウクライナ人だけの手で強大な敵にひるむことなく戦っている。ロシアとの間の長きにわたる緊張状態がウクライナの団結を強めた。
教訓にしなければいけないのは、明日日本に同じような脅威が降りかかった時に、誰かが守ってくれる保証はどこにもないということ。スーパーマンもウルトラマンもプリキュアもたぶんやってこない。来るかもしれないけれど、たぶん来ない。
この現実から目を背けてはいけない。「きっと誰かが助けてくれる」。「誰か」って、誰?
そう。
日本は日本人が守らなければいけない。
命を懸けて祖国を守らなければいけない。
戦火が降り注ぐその時、日本という国に、命を懸けて守らなければいけないだけの価値があれば。
戦時下の福祉
言葉を選ばずに言わせてもらうと、戦争状態になって、真っ先に切り捨てられるのはいつでも障害者や高齢者だ。戦時下では、力がすべて。敵と戦うことができない存在は、厄介者扱いされ、自国民からも迫害された。そこに、敵も味方もない。
僕らが介護・福祉というフィールドで仕事をすることができるのも、福祉の魅力を発信していくことができるのも、平和で秩序が保たれた社会(もちろん満足な社会ではなくても)が存在しているから。
戦争になった時点で、介護という仕事の価値、介護職としての誇りも一瞬にして崩れていく。
だから、戦争が憎い。そして、平和のために何をすることもできない自分が憎い。